サクラユタカオー死亡(後)
社台ファームは70年代の Princely Gift ブームに背を向け、もちろんテスコボーイ、トウショウボーイとも無縁でした。しかし、トウショウボーイの代表産駒である三冠馬ミスターシービーを社台スタリオンステーションに導入したのに続き、サクラユタカオーの獲得にも乗り出しました。こちらの交渉は失敗するのですが、静内スタリオンステーションに繋養されたサクラユタカオーのもとへ毎年繁殖牝馬を送り込み、「サクラユタカオー×ノーザンテースト」という90年代を代表するニックスによって、サクラバクシンオー、ダイナマイトダディ、トゥナンテ、エアジハード(2代母の父がノーザンテースト)といった活躍馬を生産しました。この配合は他牧場でも成功し、サクラキャンドル、システィーナなどが誕生しています。
シルクロードS(G3)2着など重賞戦線で頑張っているショウナンカザンは、サクラバクシンオー≒ダイナマイトダディ2×2。リスクの高いこのような配合でもしっかり走ってしまうのですから、サクラユタカオーとノーザンテーストの組み合わせはいいものを伝えているのだなぁと実感します。
http://db.netkeiba.com/horse/ped/2005101404/
代表産駒のサクラバクシンオーは2年連続でスプリンターズS(G1・芝1200m)を制しました。1400m以下では12戦11勝、芝1400mで日本史上初めて1分20秒の壁を破った馬でもあります。種牡馬としても成功し、日本競馬にスピード革命をもたらしたテスコボーイのサイアーラインを繋げることに成功しています。また、もう1頭の代表産駒であるエアジハード(安田記念、マイルチャンピオンシップ)は、ショウワモダン(安田記念)の父となりました。
テスコボーイが送り出した牡馬のうち、最も優れていたのはトウショウボーイとサクラユタカオー。トウショウボーイは代表産駒ミスターシービーが失敗したのが大きく、サイアーラインはほぼ絶滅しています。一方、サクラユタカオーはサクラバクシンオーとエアジハードを残しました。
日本産馬のレベルが世界水準に達していなかった時代は、相対的に能力が高い外国産種牡馬が次々と導入され、そのたびに日本国内の血統は更新され、ランキングの上位はそれらに独占される状況でした。内国産の系統は、代を経るごとに能力を上げていかなければ、外から入ってくる種牡馬群に対抗できません。輸入種牡馬のレベルは日本経済の発展と歩調を合わせるように、60年代、70年代、80年代、90年代と上がっていったからです。輸入種牡馬のレベル上昇に敗れ去った内国産ラインはどんどん淘汰されていき、ほとんど残りませんでした。
そうした厳しい時代を生き抜き、約40年にわたって日本に根付いているテスコボーイ系は素晴らしいとしかいいようがありません。サクラユタカオーはその発展に大きく寄与した名種牡馬でした。合掌。
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