『吉田善哉 倖せなる巨人』
昨日のエントリーで吉田善哉について記しました。『血と知と地』を取り上げたのですが、もう一冊、忘れてならないのが『吉田善哉 倖せなる巨人』(木村幸治著・徳間書店)です。善哉だけでなく3人の息子たち(照哉、勝己、晴哉)の姿も丹念に描かれており、また血統に関する話題も豊富です。いいお仕事をされているなぁと感心させられる傑作です。
病魔に冒され、自らの死期を悟った吉田善哉は、部下に命令を出します。その部分を引用します。
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少しずつ善哉はロッジでの生活に慣れていき、七月も終わりが近づいた。
「おばさん、獣医の角田に来いと伝えろや」
角田が来た。
「おい、シンボリの和田(共弘)と連絡を取れ」
「で、どうするんですか?」
「おまえ、ぼんくらか?」
「はい?」
「シンボリの和田と、この俺が一緒だとほかにすることがあるのか?」
「すると?」
「一緒に、和田と馬が見てえんだよ、和田さんとじっくり馬が見たいんだ。来いと、お前から伝えろ」
角田は心の震えを覚えた。
吉田善哉が、長い馬産家人生のなかで、同じ世界で馬づくりをし、いちばん何かを感じてきた日本人が、和田共弘であったということを、いま知らされた気がしたからだ。(304頁)
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和田共弘は吉田善哉の1歳年下で、スピードシンボリ、メジロアサマ、サクラショウリ、シンボリルドルフ、シリウスシンボリの生産者です。
両者とも妥協知らずの強烈な個性の持ち主ですから、その関係は必ずしも良好とはいえなかったと聞きます。対抗心もあったでしょう。しかしながら、死期が迫ったとき、吉田善哉が一番会いたいと願った人物は、ほかならぬ和田共弘だったのです。このエピソードは心を打ちますね。
残念ながら吉田善哉の希望は叶いませんでした。和田と会うことなく半月後の93年8月13日に死去。72年の生涯でした。
Amazon で検索してクリックすれば、こんな良書が安価で手に入るのですからいい時代になったものです。中古品が193円より出品されています。
毎日興味深い話題を取り上げておられて、読まないと損するなぁと思っております。
昨日の話題もそうですが、吉田善哉さんが残されたものは日本競馬会にとって計り知れないものがあるんだなぁと再認識させられました。和田さんとのくだりには本当に感動いたしました。是非上記の2冊購入して読んでみたいと思っております。ご紹介ありがとうございました。
それと今年フェザーレイの仔を一口持たせていただいたので、社台の魂が入った血統と繋がりが持てた事で一層の愛着が湧いてきました。
投稿: Bucchi | 2010年9月15日 (水) 06:30
いつもお読みいただきありがとうございます。吉田善哉の生涯を描いた2冊はおもしろすぎるので、引用したいところだらけで困ります。
ダイナガリバーがダービーを勝った86年に、NHK特集『ダービー・北の大地の戦い ~ダービー優勝馬誕生の秘密~』というドキュメンタリーが放送されたのですが、ご本人が出まくりだったという記憶があります。その後浦河町長になられた谷川牧場の谷川弘一郎さんや、杵臼斉藤牧場の斉藤繁喜さんなども出ていました。NHKアーカイブスで調べたのですが観ることができないようです。とてもいい作品なのですが……。
http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10001200998606010130074/
フェザーレイのパロクサイド系は60年代から根付いているので、社台の保守本流ともいえますね。重ねられた種牡馬を見ると社台の歴史そのものだなぁ~と。
投稿: 栗山求 | 2010年9月15日 (水) 14:56