王登美さん108歳で死去
プロ野球ソフトバンク王貞治会長の母・王登美さんが亡くなりました。108歳。著名人やその係累でここまで長寿を保った例は稀でしょう。
登美さんは1984年に『ありがとうの歳月を生きて』(勁文社)という自伝を上梓しています。時代との関わりのなかで一庶民がどう生きたか、というライフヒストリーがしっかり描かれた好著です。王貞治の母、という事実によりかかっていないところがいいですね。
1901年に富山県で生まれ、1914年の大洪水により一家は没落。生活が立ちゆかなくなり長女登美は単身東京に奉公へ。その後、親兄弟も上京して共同生活を始めるものの、1919年に両親が相次いで病死。兄弟はちりぢりに親戚に預けられることに。1923年の関東大震災を経て、1927年に深川の中華ソバ屋で浙江省出身の料理人・王仕福と出逢い、周囲の猛反対を押し切り翌年結婚。1940年に貞治が誕生。1945年には経営していた店が空襲により全焼。この年までに弟2人、妹1人、娘1人(貞治の双子の姉)を失っていました。
かなり端折って数行にまとめると以上のようになります。朝の連続テレビ小説の題材にするにはややヘビーですね。ただ、当時にあってはとくに壮絶というわけではなく、このような人生はありふれたものであったでしょう。
両親兄弟が次々と早世するなかで登美が生き残ったのは、おそらく体が頑丈だったからだろうと思います。若いころは太っていたため奉公先でのあだ名は「関取」。息子の貞治も並外れた食欲の持ち主で、中学時代は学校から帰ると肉や野菜がいっぱい入った大盛のヤキソバをたいらげて、さらにご飯を三杯食べていたそうです。高校時代になると大盛りの五目ソバをまずかっこみ、そのあと自分の顔ほどもあるステーキを二枚食べてやっと人心地がつくという有様で、「うちが料理屋でなければ食費だけで破産している」と語るほどだったそうです。体も大きく、横綱・吉葉山から相撲部屋に誘われたというエピソードもあります。
母・登美は108歳まで生き、息子・貞治は歴代最多本塁打王に。生命力の基本は食欲なのだなぁとつくづく思います。そういえば先日死亡したオグリキャップは旺盛な食欲に支えられて激戦の連続に耐えました。
皆さま、夏バテしてませんでしょうか? 私はこの暑さで食欲が下降気味なので、今日はしっかり食べようと思います。
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