ファンタストの夢とプリモディーネ
ファンタストといえば現在はファンタストクラブのことを指しますが、その名称の元となったのは1978年の皐月賞馬ファンタスト(「夢みる人」の意)です。皐月賞制覇から3ヵ月後、滞在中の函館競馬場で腸捻転を発症し、短い生涯を閉じました。
父イエローゴッド、母ファラディバはオークス2着馬、2代母ソーダストリーム。典型的な“伊達血統”でした。Pharos=Fairway 5・5×3・5、Fair Trial 4×4、Hurry On 5×5、Buchan 5×5という鮮やかな父母相似配合で、笠雄二郎の『日本サラブレッド配合史』にも採り上げられているほどです。
http://db.netkeiba.com/horse/ped/000a010208/
とくにソーダストリームと、イエローゴッドの母 Sally Deans は、いずれも3代以内に Fair Trial、Hurry On、Buchan を持ちます。偶然とは考えづらい共通点です。
http://www.pedigreequery.com/soda+stream
http://www.pedigreequery.com/sally+deans
┌ Hurry On
┌○┘
┌○┤ ┌ Buchan
ソーダストリーム ―┤ └○┘
│ ┌ Fair Trial
└○┘
┌ Fair Trial
┌○┘ ┌ Hurry On
Sally Deans ――――┤ ┌○┘
└○┤ ┌ Buchan
└○┘
伊達さんがお亡くなりになったいまとなっては想像でしかないのですが、イエローゴッドに目を付けて輸入した真の目的は、ソーダストリーム系と交配するためだったのではないか、という気がします。もしそうであれば、計画どおりに作ったファンタストが自身に初のクラシックタイトルをもたらした喜びはひとしおだったでしょう。「一番欲しかったのが、この皐月賞だったのです」と伊達さんは語っています。俗に「最も速い馬が勝つ」といわれる皐月賞は、スピードを第一義として生産を行ってきた伊達さんへの最大の勲章だったのではないでしょうか。
栄光からわずか3ヵ月後に訪れたファンタストの死は、現役クラシック馬の急逝というだけでなく、その血統的な価値からみても惜しまれるものでした。叔父のアローエクスプレスが初年度からテイタニヤ(桜花賞、オークス)を送り出し、種牡馬として大成功していたからです。
ファンタストの死とともに、この馬に関わる多くの人々の夢も墓石の下に葬られました。しかし、21年後、同じソーダストリーム系から出た1頭の牝馬が、ごくささやかながらその夢の一部を果たすことになります。
1999年の桜花賞馬プリモディーネです。
2代母イザベラは、「父イエローゴッド、2代母ソーダストリーム」という配合。ファンタストとほとんど同じ構造です。
┌ イエローゴッド
ファンタスト ―┤
└○┐
└ ソーダストリーム
┌ イエローゴッド
イザベラ ―――┤
└○┐
└ ソーダストリーム
イザベラにマルゼンスキーをかけて母モンパリが生まれ、それにアフリートをかけてプリモディーネが生まれました。
http://db.netkeiba.com/horse/ped/1996101283/
もう少し図式化していえば、父母相似配合の傑作といえるイザベラ(≒ファンタスト)に、Northern Dancer 系→Mr.Prospector 系という順に主流血統を入れ、見事に現代競馬に対応してみせたのです。母モンパリは Nijinsky と Red God のニックスを持ち、プリモディーネ自身はアフリートと Nijinsky のニックスを持っていました。たんにイザベラ(≒ファンタスト)の血を引くだけでなく、配合全体もきわめて優秀なものだったのです。サンデー全盛期にありながらそれと無縁の血で世代の頂点に立ったのですから賞賛に値します。そして、これを作った伊達さんの手腕には感嘆するしかありません。
現在、プリモディーネはアメリカで繁殖生活を送っており、産駒は日本に輸入されて走っています。残念ながら成績は芳しくありません。日本で走らせるならサンデー系以上の種牡馬は世界のどこを探してもいないのでは、と思います。もし私が種牡馬を選ぶならマンハッタンカフェにするでしょう。
http://www.jbis.or.jp/topics/simulation/result/?sire=0000324971&broodmare=0000303071&x=63&y=21
プリモディーネにマンカフェは、栗山さんの言うマンカフェの
成功配合である母系にNijinsky+ミスプロの黄金配合ですね。
たしかにもし誕生したら期待せずにはいられません。
日本に早急に帰ってきて欲しいですね。
そして、日本競馬の中で数少ない独自の血統理論をお持ちの
伊達氏の死は残念です。
投稿: にいはら | 2010年4月 2日 (金) 07:57
しっかり見抜かれてますね(笑)。
おっしゃるとおりです。
マンハッタンカフェのこのパターンはやたら走ります。
伊達さんは1948年に20歳で地方競馬の馬主となり、1950年に国営競馬の馬主となりました。1978年6月号の『優駿』で次のように語っています。
「国営時代に初めてもったグレートオーが15勝しました。昭和17年のダービーを勝ったミナミホマレと、14年の四歳牝特と現在の菊花賞に当る京都農林省賞典四歳呼馬競走に二着したシママツの仔です。これが血統に興味を持ったきっかけとなったのです。馬は血で走ることを教えてくれた訳です。それから毎晩、当時はこれといった娯楽もありませんし、小説を読むつもりで血統関係の本を調べるようになったのです。パズルを解くような楽しみがありましたね」
ろくに資料もないような時代ですからね。おそらく洋書で勉強されたのでしょう。凄いとしかいいようがないです。
投稿: 栗山求 | 2010年4月 2日 (金) 09:54