不忍池競馬を見た最後の生き残り、物集高量
昨日のエントリーで採り上げた立川健治さんの本は、明治17年(1884)11月、上野不忍池競馬場で行われた初めての競馬開催の模様から書き起こされています。共同競馬会社が主催した不忍池競馬は、明治25年(1892)まで行われました。
この競馬を見た、という人物が昭和の末まで存命していたことはあまり知られていません。
その名は物集高量(もずめ・たかかず)。
明治12年(1879)に生まれ、昭和60年(1985)に106歳で亡くなりました。
100歳の誕生日(昭和54年4月3日)に刊行された『百歳は折り返し点』(日本出版社)という本に次のような記述があります。
「切通坂まで使いに行ったときには、不忍池で競馬を見物しました。不忍池の周囲が競馬場だったのを見た人も、現在はいないことと思います。」
明るく闊達なお爺さん、というキャラクターで親しまれ、私が子供のころ、たまにテレビでその姿を見かけたものです。『徹子の部屋』にも招かれたことがあったはずです。きんさんぎんさんよりはるか前に出現した元祖“100歳スター”でした。まさか物集さんが不忍池競馬を見ていたとはつい最近まで知りませんでした。まず間違いなく、共同競馬会社の不忍池競馬(1884~1892)を見た最後の生き残りだったはずです。
何冊か出ているエッセイは、物集さんが生粋の遊び人だっただけに、どれもおもしろく飽きさせません。エッセイの巻末に年表が載っており、昭和4年(1929)には「初めて横浜根岸の競馬場へ行く」「初めて中山競馬場へ行く」といった記述があります。100歳を迎えた昭和54年(1979)には「日本ダービー。カツラノハイセイコ優勝。予想的中」と。
物集さんのエピソードで好きなのは、106歳で亡くなる前日、若い看護婦のスカートに手を入れて婦長に叱られた、というもの。凄いの一語です。
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