橋本邦治さん死去
先月19日にお亡くなりになったとのことですが、9月に入ってから知りました。87歳。大川慶次郎さんより7歳年上で、大正生まれ(大正11年/1922年生)では最も長く現役でいらした競馬関係者ではないでしょうか。つい数年前までラジオNIKKEIの競馬中継に出演されていたイメージがあります。
『日本の名馬』(サラブレッド血統センター)の118頁に、「私と競馬」と題する橋本さんの文章が載っています。抜粋します。
「私の家は、昔府中にあった。そんな関係もあり、父が野戦重砲兵だったりしたため、子供のころから馬が好きだった。そのうえ、目黒から東京競馬場が移転してきたりしたため、なにもわからないうちから、競馬は見ていた。だから、ガヴアナーが『ダービー』に勝った後で急死して、墓地に運ばれる、悲運な姿を見たことを覚えている。」
ガヴアナーは第4回のダービー馬。死んだのは1935年(昭和10年)ですから75年前です。橋本さんはそのときの光景を目撃しています。
また、『優駿』04年10月号にはこんな記述があります。
「私も、馬房によこたわるトキノミノルを見舞ったが、“これがあのダービー馬か”と、目を疑いたくなるような寂しい姿だった。」
トキノミノルは1951年(昭和26年)の二冠馬で、通算10戦全勝。ダービー制覇から17日後に破傷風により死亡しました。橋本さんは死の床にあるトキノミノルも目撃しています。
時代が下り、日本テレビの名物番組『11PM』で、大橋巨泉氏と競馬コーナーを持ったと聞きますが、残念ながら記憶にありません。私にとって橋本さんは『話のかいば』の著者です。NAR地方競馬全国協会の機関誌『地方競馬』に連載されたコラムをまとめたもので、91年にJRA馬事文化賞を受賞しました。競馬に関する幅広い蘊蓄を90のチャプターに分けてエッセイ風に記したものです。読みやすくて好きな本でしたね。「父は、明治の日本画家、橋本雅邦の六男」というプロフィールの記述を見て、へぇ~と感心したりもしました。この本を Amazon で検索しても引っ掛かってきません。現在入手は困難かもしれません。晩年はJRA賞の記者投票でたびたび独創的な票を投じることで話題になりました。
私はよく中山競馬場行きのバスでお見かけしました。雨の日も風の日も変わることなく座席に腰掛けていらっしゃいました。奥様らしきお連れの方と一緒のことが多かったですね。自分はあの歳まで競馬場に通う気力を保てるだろうか……と、そのお背中を見ながら思ったものです。合掌。
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