【毎日王冠・オマケの消去法】
「あ~~~、あ~~~」
「アゴがはずれるぞ、なにやってんだ!」
「あ、に濁点っすよ。あ”~っ!」
アフター競馬評論家の鬼野谷が、相も変わらずバカなことをやっている。
今年の3月にアメリカのサラトガ競馬場で『ARRRR』と表記される馬が走っていた。そのレースで直線先頭に立った同馬、実況のアナウンサーが「んがぁ~」という発音で連呼していたのをマネてみたのだという。
「オレには無理っすね。フランス人が『H』を発音できずに、日比谷をイビヤ、美穂をミオというのと同じっすよ」
「いつからフランス人になったんだよ」
「キオーからっす」鬼野谷のアゴがはずれたようだ。「アメリカの馬が『あ~』なら、日本にだって『お~』がいたんすよ」頭もズレたか。
聞くと、キオーという馬がいたらしい。鬼野谷の爺さん競馬歴60数年の卯三郎氏によると、昭和30年代の後半にキオーという馬が走っていて、実況では「オー、オー」と聴こえたのだという。
昭和36年生まれの青森産馬で、朝日杯⑤着、皐月賞ではシンザンの⑲着。後に障害に転向し、昭和40年5月22日、東京競馬場、第6レース・ダート2900m障害に出走した時に卯三郎爺さんが単勝馬券を握っていた。
キオーは初コースも3番人気。向正面で先頭に立つと、キオーが「オー先頭、オー先頭」と聴こえたというのだが、鬼野谷の血統だ、キオーく違いじゃないだろうか。結果は1秒差の4着完敗だった。
「でも、あれっすね、ア~もオ~もいいっすけど、一文字馬名ってのもいたんすね」
「数年前に南関東で走っていたイチモンジのことか?」
「違いますよ。ヤ、一文字っす」
「でも、馬名って2文字以上9文字までだろが」
「大昔の話っすよ」
戦前、昭和9年にデビューした『ヤ』のことだ。アングロアラブ種だが、言いにくいということで後に使用差し止めとなった。
「ヤだねったら♪、ヤだね♪、今週はヤ行攻め!っす」
「なんだよ」
「ヨーヨーっす。ダノンヨーヨー!
「前走、宝塚記念1秒差⑦着完敗だぞ」
「ソコがいいんじゃないすか、穴でバッチリ、ゴッソリいただきっす」
グレード制導入の昭和59年以降、前走G1宝塚記念からの直行馬は[9-2-4-22]。
その宝塚記念で1秒以上完敗からの直行馬は[4-0-1-12]。
このうち、
(a)宝塚記念6着以下かつ1.6秒差(約8馬身差)以上惨敗馬は×
(b)前2走とも1秒以上の完敗続きの馬は×
(c)6歳以上の高齢馬は×
(d)2走前あるいは3走前にG2以下戦で5着以下だった馬は×
以上の4項目をクリアしていた馬は[4-0-0-0]。
H4年 5歳ダイタクヘリオス G2京王杯④→G1安田⑥→宝塚-2.0秒差⑤
H6年 4歳ネーハイシーザー G2大阪杯①→G3京阪①→宝塚-1.4秒差⑤
H15年 4歳バランスオブゲーム G2日経賞②→G2金鯱④→宝塚-1.5秒差⑪
H18年 5歳ダイワメジャー G2マイラ①→G1安田④→宝塚-1.1秒差④
の4頭が、前走宝塚記念で1秒以上完敗も巻き返して勝っていた。
すでにG1・G2で実績がありながら、ワケありで宝塚記念を大敗していた馬、H4年ダイタクは前半1000m62秒4の平成以降もっともスローペース・H6年ネーハイは前走クビ差レコード勝ちの反動・H15年バランスは体重12㎏減の影響・H18年ダイワは怪物ディープインパクト4馬身圧勝のためで②着馬からだと0秒4差しか負けていない、と敗因はたしか。
宝塚記念1秒差⑦着のダノンヨーヨー、さすがにG1馬にはかなわなかったけれど、自身より人気の上だった2000m以上のG1・G2勝ち馬トーセンジョーダン⑨着・ドリームジャーニー⑩着・トゥザグローリー⑬着・ナムラクレセント⑭着には先着しており、陣営は一気の距離延長がたたっただけとコメントしており、距離克服のメドがついた一戦だった、と鬼野谷は分析する。
「でもな、鬼野谷、ゴール前でヨー!ヨー!ってリキんでたらカラまれないか」
「誰にっすか」
「ヤ印、に」
高橋学の「消去法シークレット・ファイル」の予想は、netkeiba.comをご覧下さい!