競馬王9月号チラ見せ企画 密着ドキュメント『キズナ 知られざる真実』

いつも競馬王をご愛読いただき、誠にありがとうございます。8月8日(木)に発売された競馬王9月号から、気になる記事・企画をチラ見せしていく当企画。

今回は、凱旋門賞挑戦を目前に控えたダービー馬キズナのドキュメント『キズナ 知られざる真実』を特別に公開いたします。キズナには、奇跡ともいえる数々のエピソードがあったのです…。

キズナ 知られざる真実

文 浅野靖典
写真 浅野靖典、村田利之、橋本健、競馬王編集部

 2012年4月4日。『競馬王のPOG本』取材班と『POGの達人』(いわゆる赤本)代表の私は、大山ヒルズの神田直明マネージャーからその言葉を聞いた。

「姉のファレノプシスから15年。すばらしい馬が誕生してくれました。とにかく無事にさえいければ」

 さらにスタッフの馬場直樹さんが驚きの表情で「(神田さんが)そこまで言うとは……」とつぶやいたのも追い打ちをかけた。

『競馬王のPOG本』にも「坂路でも飛ぶイメージです。脚元が悪い馬場でもまっすぐに走れますし、とにかく無事にさえいければ結果はついてくると思っています」とある。競馬王取材班の美野真一さんが「欠点らしい欠点が全然見当たらないんですよ」と興奮ぎみにまくしたてていたことも思い出す。そのときから神田さんの言葉を聞いた取材者4名が、キャットクイルの2010を特別な存在として意識することになったのは言うまでもない。

 しかしながら、神田、馬場、熊谷真悟の各氏が発した育成馬に対するコメントは、全体的にみると例年どおり慎重だった。それは、“あまり大きなことを言うのはよくない”といういつものスタンスであることは、個人的には理解していたつもりである。

 ただ、その年はひとつだけいつもと違った。一連の取材が終わった午後5時すぎ。「当然、1位にしますよね?」と神田さんが聞いてきたのだ。残念ながら私の『赤本』上での「オススメ10頭」は、誌面リニューアルと前年の成績不振の影響などで出番がなかったが、それでもとにかく私は信じ抜くことに決めたのだ。

 2歳馬を取材する時にはデビュー時期などもあわせて聞くのだが、キャットクイルの2010に関してはその必要がないように思えた。目指すは当然、大舞台。また、ノースヒルズ所属の馬たちは、2歳の4月頃から続々と競走馬名が決まっていくのが通例なのだが、この馬はすでに名前が決まっていたことも、特別な存在と思わせるに十分な材料だった。3氏への取材が終了したあと事務所に挨拶に行き、ゼネラルマネージャーの齋藤慎さんに「よくキズナという名前が無事につけられましたね」と水を向けると、「そうですよね。なんとしても名付けたくて年明けすぐに申請したのですが、現役馬にキズマがいたので、発音が似ていると却下されないか心配でした」と、安堵の表情をみせていた。

「絆」という言葉は昔からあるが、よりクローズアップされたのは、2011年に発生した東日本大震災以降。その年の10月に盛岡競馬場では「絆カップ」が実施されたし、大きな被害から立ち直るために必要な心のよりどころとして「絆」の文字は多くの場所で目にしてきた。

 キャットクイルの2010に「キズナ」という名前が正式に登録されたのは2012年1月。その前にもキズナという名の馬はいた。その“初代”は2007年1月20日のレースを最後に、現役を退いていた。同じ競走馬名を付けられるのは、重賞ウイナーなどは別として、“先代”が引退してから5年後が原則。前年にはその規定の影響があったためか、“キズナダクリチャン”という馬名が登録されていた。つまり、まさにピッタリ5年後。仮に先代のキズナが順調に競走生活を続けていたら、キャットクイルの2010にキズナという名前をつける希望は叶わなかったことになる。

 2011年に東京競馬場で行われた南部杯をトランセンドで制し、その優勝賞金から1千万円を岩手県に寄付するなど、被災地に多大な想いを伝えている前田幸治オーナー、前田晋二オーナーが「絆」に寄せた希望は、いま思えばこの時点で現実となることが約束されていたのではあるまいか。

 キズナの母、キャットクイルは、カナダ産の輸入繁殖牝馬。その姉には、ナリタブライアン、ビワハヤヒデを産んだパシフィカスがいる。キャットクイルが日本で最初に産んだのは、桜花賞馬のファレノプシス。そういう血統だから、その後も期待されていたわけであるが、なかなか順調にとはいかない状況だった。

 ファレノプシスを誕生させた翌年にアランダが産まれたものの、97年と98年は誕生せず。99年産のサンデーブレイク(父フォーティナイナー)は北米で重賞勝ちもおさめて、現在はフランスで種牡馬をしているが、その後も仔出しはよくならず、2010年産のキズナが第8仔である。

「キャットクイルは不受胎や流産などもありましたから」

 齋藤さんの言葉どおり、難しいタイプの繁殖牝馬であることは間違いないだろう。そんな牝馬に、ディープインパクトを配合するという決定が下されることになった。ちなみに前年にも同馬が配合されたが、そのときは不受胎だった。しかし、受胎はしたが誕生せずという場合には、高額の種付料は無駄になってしまう。

「でもそれが、オーナー(前田幸治代表)のリスクを恐れない“BESTTOBEST”という判断だったんです」

 齋藤さんも、その慧眼には感服している様子だった。そしてキャットクイルはその期待に応えた。3年ぶりの産駒を、自身3頭目の牡馬として元気な姿で誕生させたのである。

 その牡馬の評判は、生誕地の新冠から鳥取県の大山ヒルズまで伝わってきていた。

「毎年、“この仔はいいぞ”という話はたくさん来るんですよ。だからその時も、“今年はどうかな”という感じでしたね」

 と、大山ヒルズで獣医師・マネージャーとして勤める長高尚さんは振り返った。

 しかし1年数ヶ月後、新冠からの情報は本物だったことを実感させられることになる。

 齋藤さんの言葉を借りると「馬運車を降りてきたときから違っていました」。

 筋肉の付きかたは「ディープインパクト産らしくはなかった」とのことだが、1歳の秋に乗り慣らしを始めた頃には、モノが違うという評価は早くも確かなものになった。長高さんが続ける。

「新冠の獣医からは、肉付きがあまりよくないと聞いていて、そのとおり、大山に来た当初は線が細いという感じでした。でも、年明けあたりから変わっていきましたね。3月はドバイに行っていたので全く見ていなかったんですが、4月になって久しぶりに見たら、ものすごく成長していてビックリしましたから」

 キズナがその充実ぶりを示しはじめていた頃に、大山ヒルズでの鞍上は神田さんに固定されるようになった。大山ヒルズで2歳の春から騎乗者がひとりだけになるというのは、ほとんど例がないとのこと。それだけ牧場側も特別な存在として、キズナを見ていたのである。

 神田さんがキズナ専属(もちろん、ほかの育成馬にも騎乗しているが)になってから約1か月後、現地を訪問したのが私たちである。そのとき、神田さんは冒頭のコメント以外にもこういうことを言っていた。

「これまで担当した中で、トップ3に入ります」

 ほかの2頭は、との問いかけに挙がった名前は、ファリダット、グレイトジャーニー。華々しい結果を残しているわけではないのだが、いずれも血統は超一流、そして2億円以上の賞金を獲得している。

 神田さんのみならず、ノースヒルズのスタッフすべてが「キズナはそれ以上」という思いを抱いていたのかもしれない。当初は6月頃に栗東に入厩する予定だったが、無理せず秋からのスタートに方針が変えられ、初陣は10月の京都競馬場。まさに王道ルートからの登場である。

 私の知り合いの馬主さんによれば、数あるレースのうち、見ている側がもっとも緊張するのが新馬戦だという。ここまで時間をかけて育ててきたこの馬で、はたして夢が見られるのかどうなのか。チーム・ノースヒルズもまた、おそらくそういう気持ちだったことだろう。スローペースでの位置取りは中団から後方寄り。これで大丈夫なのか、という道中の心配は、数十秒後に霧散することになる。

「いやぁ、ホッとしました。“良い馬です”と言い続けてきましたから」

 そう振り返った神田さんは、2戦目の黄菊賞は現地で観戦。「あの馬場状態で(雨・やや重)後方一気の勝ちかたができるんですから、これは本当にひょっとするのでは?と思いましたね」

 しかし3戦目。ラジオNIKKEI杯で、その思いは一旦、頓挫することになってしまう……。

続きは、競馬王9月号掲載の『キズナ 知られざる真実』でお楽しみください。スタッフがレース後に呆然としてしまった弥生賞での敗戦、感動のダービー制覇、凱旋門賞に向けた調整過程など、競馬王でしか知り得ない奇跡のエピソードが満載です。

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