【エプソムC・オマケの消去法】

「お土産っす。AKBクッキーに生ドーナッツ!」

アフター競馬評論家の鬼野谷がご機嫌であらわれた。武道館で行われたAKBの総選挙結果の帰りだという。

「それで、誰に投票してたんだい?」

「去年1位・今年2位の大島優子っすよ。左のえくぼがいいっす。左えくぼはエンジェルホールつって、天使の通し穴。縁起がいいんすよ。昭和風な顔と衣装をキチンとたたんでから戻すって躾の行き届いたとこも気に入っちゃいましてね」

相変わらずのミーハーぶりだが、血は争えない、爺さん(鬼野谷卯三郎)の影響があるのかもしれない。今週のエプソムCもそうだ。その昔、卯三郎爺さんはエプソムを追っかけて大阪まで行ったことがあるらしい。

昭和40年。キーストンが勝つことになるダービーの一週前。ご存知、日本のダービーは本場イギリスのエプソム競馬場で行われるダービーをお手本としているが、そのエプソムを馬名にした馬が、昭和40年5月23日に阪神競馬場で出走していた。これだ!と思った卯三郎爺さんは矢も楯もたまらなく朝7時ちょうどの新幹線ひかり3号で4時間かけて大阪に向かった。

阪神8R、1600mの8頭立て。1番人気のエプソムは先行抜け出して1着。卯三郎爺さんは単勝230円の馬券一万円分を換金せずに後生大事に宝箱に保存していた。当時の公務員の初任給がやっと2万円を超えたばかりのころだから大した出費だ。

これはうまく成功したほうだが、その3年前、昭和37年のダービーでイギリスにちなんだ馬名ということでバッキンガムに白羽の矢を立てたが、このときは10着。そうそううまくはいかない。周りでは卯三郎を「ウソ三郎」と呼んでいたらしい。

その孫の鬼野谷。隔世遺伝かミーハーとペテンにかけてはどこかの元総理も唖然とする。

羽田のシャコ、大井の砂場で育ったという江戸前産の鬼野谷。今から10年ほど前の夏、2001年の8月、おいしいハナシについつられてナイター大井競馬に出向いた。

「情報が入ったんすよ。今夜の7R、グローリペテンっす。前走人気薄で2着。今日もメンバー強化で人気落としてますが、ウマヤに幼馴染がいてね強気っすよ

オッズは13頭立ての8番人気、のるかそるか、おいしい馬券だ。レース、先行2番手。が、ゴール前、人気馬に差されておしくも3着。のったほうも浅はかだったが、鬼野谷の言い訳が小憎らしい。

「グローリペテンの生まれたのが4月1日っすよ。しゃぁないすね」

「……」

その鬼野谷が白夜・競馬王編集部の隣の隅っこでこそこそとパソコンを叩いていた。

「今週はロードキャニオンっす。先だってのウイリアム王子とキャサリン妃との結婚式にロイヤルウェディングっていう9歳馬が勝ったばかりっすが、このロードキャニオンだって負けてないっすよ。ロードは国王だし、母のレディフューチャーは将来の女王って意味だし、今度のエプソムCにはピッタシっす。それに、このロードキャニオン、これまで4勝、2着が1回あるけど、その5回中3回までが10番人気以下での激走っす。エプソムC過去10年、芝1800mを6回以上走って持ち時計が146秒0を切っていない馬は、前走OP・重賞戦連対馬や準OP戦2馬身以上勝ち馬を除き[0-0-3-39]で、この3着にきた3頭はすべて10番人気以下の超伏兵っす。馬番も最高っす。過去10年で3勝の8番枠!複勝とワイドでいただきっすよ」

「でもな、エプソムCで、前走非重賞戦で斤量57㎏以下かつ6着以下だった馬のうち、着外が20回以上もあったボロボロの馬は、グレード制開始の昭和59年以降[0-0-0-14]だぞ。道、間違えてないか。ロード違いだろ」