シンボリルドルフ死す
ニュースを目にしたとき、わずかな思考の空白のあと、「……シンボリルドルフでも死ぬのか」と思いました。生き物ですから死ぬのは当たり前です。その当たり前のことが訪れることを不思議に思うくらい、自分のなかでシンボリルドルフは別格の存在でした。
桁外れの天稟と、侵しがたい威厳。厩舎で「ライオン」とあだ名されるほどの激しい気性であったといいます。その一方で、競馬になれば冷静沈着、まるで人間の頭脳を搭載しているかのような完璧なレースぶりでした。熱さや激しさを不思議なほど感じさせず、努力や根性といった言葉から最も遠く離れた、クールでスマートな天才でした。
一個のサラブレッドとして、これほど魅力的な存在はほかに見当たりません。現役時代から大好きな馬でしたし、その気持ちは二十数年を経ても変わることはありませんでした。
昨年9月30日のエントリー「シンボリルドルフがジャパンC当日に東京競馬場へ」のなかで、以下のように記しました。
「絶対的に強い馬(=シンボリルドルフ)に憧れる気持ちが『なぜ強いのだろう』という探求心を生み、それを解き明かそうとしたことが血統に関心を持つきっかけだったと思います。そういう意味でシンボリルドルフは自分の人生を変えた馬といえます。初めて5代血統表を書いた馬はシンボリルドルフでした。もっとも、完成した血統表を見たところで何が何やらわかりませんでしたが……。」
http://blog.keibaoh.com/kuriyama/2010/09/post-ef66.html
昨年のジャパンC当日、東京競馬場にやってきたシンボリルドルフは、昼休みにパドックに現れてお披露目をしました。何の根拠もなくシンザンの長寿記録を抜くのだろうと思い込んでいたので、久々だなぁという感慨以外、これといって感傷を浸ることもなく、晴れやかな気分でパドックの周回を見守っていました。いまから考えればあれがファンに対する別れの挨拶でしたね。
シンボリ牧場を隆盛に導いた天才馬産家・和田共弘と、彼の馬産哲学の結晶であるシンボリルドルフについては、『神に逆らった馬――七冠馬ルドルフ誕生の秘密』(木村幸治著/ノン・ポシェット)に詳しく描かれています。『凱旋――シンボリルドルフをつくった男』を改題し、新たに文庫版としたものです。この本を読まずして日本競馬の歴史は語れません。名著だと思います。
どんな賛辞よりも、栗山さんがお書きになった、
…その気持ちは二十数年経ても変わることはありませんでした。
との一節は胸打たれました。
栗山さんがルドルフと出会い、競馬の血統へのめりこまれて…ご縁あって、私なぞがこうしてやりとりをさせて頂いてる。ルドルフのおかげなのかも…って飛躍し過ぎかな。
当時、日本馬がジャパンカップを勝つことは今以上に大変だったはず。まさに皇帝の名に相応しい馬だったんだなあ、と改めて感慨が沸きました。
合掌。
P.S.プニプニヨークンが明日、姫山菊花賞に出走します。今日の雨降りはヨークンに味方しそうで、レースが楽しみです。
投稿: ダンディ“ゲッツ”さっさん | 2011年10月 5日 (水) 17:00
ルドルフの死は、私も…大変ショックでした。
父がルドルフのファンだったのですが、当時小学生だった私は、
皇帝という漢字が難しく、どういう意味なのかわからなかったのですが、ルドルフを介して、父から始めて皇帝という言葉の意味を教わった思いでの馬でもあり、私が競馬に興味を持ち始めたのも…
ルドルフと、シービーがきっかけです。
先生の推奨するルドルフの本は、読んだ事がないのですが…
是非読んで見たいと思います。
それと、サラブレ11月号に、MJさんとの共同の記事が掲載されるそうですね。
非常に楽しみにしております。
投稿: brokken | 2011年10月 5日 (水) 23:29
>ダンディ“ゲッツ”さっさん様
そう言っていただけるのは光栄です。ルドルフが死んだ当日は思ったよりも喪失感が大きく、物憂い気分のなかで昔のことをいろいろ思い出したりもしました。すると、忘れていた記憶が甦ってきました。
3歳暮れの有馬記念は、ちょうど高1の冬休み(試験休みだったかな?)で、お金持ちの友達が所有する伊豆の別荘へクラスメート4人で遊びに行っている最中でした。親には勉強をしに行くといいつつ、じっさいは麻雀三昧の日々でしたが(笑)。
別荘にあったテレビは旧式なので、調子がおかしくなっており、有馬記念の中継を見ようとしても画面にほとんど何も映りません。音だけです。出走の合図を告げるファンファーレが鳴ったあと、友達のひとりが「マジで頼む!」と叫び、テレビの横っ腹をバシン!と叩くと、テレビが正気に戻り、中山競馬場の風景を映し始めました。
テレビは、それから3分間だけ映りました。そして、シンボリルドルフがカツラギエースとミスターシービーを蹴散らしてゴールを駆け抜けたところで、力尽きてご臨終となりました。その夜、テレビを叩いたMVPに、残りの3人が食事を奢ったのを覚えています。
エントリーに書くほどではない個人的な記憶なので、ここに書かせていただきました。
http://www.youtube.com/watch?v=NKAxkRq2dts
投稿: 栗山求 | 2011年10月 6日 (木) 05:06
>brokken 様
「皇帝」という愛称は、いつのまにか定着していたので、どなたが最初に言い出したのかは分かりませんが、馬のキャラクターと愛称がこれほどまでにマッチしたものは稀でしょう。
当時小学生のシービー・ルドルフ世代、というのは珍しいのではないでしょうか。スターホースの出現は競馬のすそ野を広げる何よりの原動力ですから、オルフェーヴルをきっかけに競馬を始める若い世代が増えてほしいですね。
『サラブレ』11月号はおかげさまでいい仕上がりになりました。同誌は、他誌では扱わない「配合」を積極的に扱ってくださるので、配合に多少でも興味のある方にはとくにおすすめしたい雑誌です。
投稿: 栗山求 | 2011年10月 6日 (木) 05:23
ルドルフの写真集はかなり売れたそうですが、父も持っていたので、幼い頃に何度も見ていました。
あのルドルフに詰め寄ったロッキータイガーという地方馬がいたのを、幼いながらに驚いていました。
この馬は外厩の先駆けであったそうですが、実はシンボリ牧場で調教を付けていたのは、元公営新潟の騎手だった方で、部屋にお邪魔した際に、シンボリルドルフの写真がいっぱいあったのを覚えています。
投稿: キングトップラン | 2011年10月 7日 (金) 12:50
>キングトップラン様
貴重なお話ありがとうございます。調教とはいえシンボリルドルフの背中を知っている方は数えるほどしかいないと思うので、その方も誇りに思っていたのでしょうね。
投稿: 栗山求 | 2011年10月 8日 (土) 07:52