根岸競馬場跡を歩く
競馬を生業としながら、横浜にある根岸競馬場の跡地へは一度も足を運んだことがありませんでした。理由はただ単に遠いからです。木曜日にちょっと気合いを入れて行ってみました。
重々しい威容で聳え立つ1930年建造のスタンドは、周囲を柵で囲われているので、内部に立ち入ることはできません。くすんだ灰色の外壁には無人の歳月を物語るようにびっしりと蔦が絡みついており、その風格と迫力は思わず息を呑むほどです。ハトやカラスにとっては格好の休息所のようで、高層部分にときおり舞い降りては下界の人間たちを眺めています。YouTube に動画がありました。
http://www.youtube.com/watch?v=mz2kJAQiBfc
この地では幕末から競馬が行われていました。『F.ベアト写真集1 幕末日本の風景と人びと』(横浜開港資料館編)には、ベアトによる次のような解説文があります。
「遊歩新道開通後1年ほど経って、設計・工事ともに優れた競馬場が、道路沿いの美しい場所に完成した。周囲1マイル以上もあり、かなりの労力が費やされた。スタンドから見える景色の美しさと広大さは、他に類がないと言ってもよく、東アジアにある最高のもの、また最もすばらしいものの一つと考えられる。」
こんな文章があるのだから、当然競馬場の写真もあるだろうと思いきや、それに添えられた1枚は、競馬場とは反対側の、海側の風景を収めたものです。
根岸競馬場(正式には横浜競馬場)は、幕末の1867年から太平洋戦争中の1942年まで75年にわたって競馬が行われました。馬の姿が消えてから69年が経過したので、そろそろ開催していた年月に並ぼうとしています。1939年に「横浜農林省賞典4歳呼馬」として創設された皐月賞は、第1回から第4回までここで行われています。初代三冠馬のセントライトが皐月賞を勝ったときもこの競馬場でした。
http://ahonoora.web.fc2.com/stlite.html
夕日に映える美しいスタンドを眼に焼き付けてから、さて帰ろうかと歩いていたところ、JRAの馬の博物館で「秋山好古と明治の騎兵」という特別展が開催中であることを発見。引き寄せられるように入館しました。
秋山好古(1859~1930年)は、「日本騎兵の父」といわれた名将です。NHKのドラマ『坂の上の雲』では阿部寛が演じています。陸軍士官学校の同期で、のちに元帥となった上原勇作は、「秋山大将は典型的な古武士的風格のある武将だった。秋山のような古武士は今後ふたたび出ては来ないだろう」と評しています。陸軍大学校で学生たちに騎兵とは何かという講義していたときに、突然、素手で窓ガラスを打ち割り、血まみれになった拳を掲げて「騎兵とはこれだ」(防御力は弱いが機動力を活かして敵を打ち破ることができる)と説明したエピソードは有名です。たしかに現代の日本にはいないタイプの人間でしょうね。
「日本競馬の父」といわれ、安田記念にその名を残す安田伊左衛門は、もともと陸軍の軍人で、最終階級は陸軍騎兵大尉です。明治時代の日清・日露戦争において、国産馬の能力が劣っていることを認識した政府は、馬匹改良には競馬の発展が不可欠と判断し、1906年に馬券発売を黙認したという経緯があります。競馬の振興は騎兵の強化を図るという側面があったわけです。『坂の上の雲』への便乗だけでなく、日本競馬が辿ってきた道筋を振り返るという意味でも、なかなかいい企画ではないかと思いました。
博物館から出ると、すでに辺りは薄暗くなっていました。空腹感を覚えたので、中華街に足を伸ばして五目焼きそばとワンタンと杏仁豆腐を食べ、土産に中華菓子を買い求めてから帰途に就きました。競馬開催のない日はほとんど家に籠もって仕事をしているのですが、こんな1日もいいものだなぁと……。
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