Hyperion 没後50年(前)
『世界の名馬』(原田俊治著/サラブレッド血統センター)の「ハイペリオン」はこんな一文から始まります。
「その卓越した競馬成績と特に種牡馬成績によって“世紀の名馬”といわれたハイペリオンは、1960年(昭和35年)12月9日、ニューマーケット競馬場にほど近いウッドランド牧場で老衰のため死んだ。」
ちょうど50年前の今日です。
Hyperion の生涯については、『世界の名馬』のほかにも多くの文献を日本語で読むことができます。『伝説の名馬 PartI』(山野浩一著/中央競馬ピーアール・センター)の「ハイペリオン」は以下の文章で結ばれています。
「31歳を迎えたハイペリオンのために屋根付きの放牧地をつくると、ハイペリオンはまだまだ元気一杯に走りまわっていた。しかし、寒さの到来とともにハイペリオンは急に弱りだし、たちまち呼吸困難に陥っていった。ダービー伯はその姿を見ていることができず、館に閉じこもっていたが、間もなく場長がダービー伯には無断で安楽死させたことを告げにきた。ダービー伯はその気持ちに感謝の意を告げ、ウインストン・チャーチル卿の来訪時に開けたブランデーをみんなで飲んだ。そしてウッドランド牧場にハイペリオンの巨大な銅像を建てた。」
Hyperion(1930年生)は英二冠を制した名馬で、ダービーの勝ちタイムは当時のレコード。種牡馬としても大成功し、1940年代から50年代にかけて英愛種牡馬ランキングで6回首位に立ちました。20世紀のイギリスを代表する名種牡馬の1頭といえるでしょう。
イギリス競馬が300年の淘汰によって産み出した最良の血、とでもいうべき傑作で、Hyperion が伝えたクラシック向きのスタミナと底力は全世界で重宝されました。
東京コースは、長い直線に坂があるというタフさゆえに、能力検定としては確かなものがあります。このコースで Hyperion は高い信頼性を誇りました。Hyperion の影響の強い血はこのコースで信頼できます。
たとえばトニービン。血統表をご覧いただければ分かるように、Hyperion 5×3・5です。私はこの馬を Grey Sovereign 系としてとらえたことは一度もありません。どう考えても Hyperion です。
http://db.netkeiba.com/horse/ped/1983109006/
東京コースにおけるトニービン産駒の強さはあらためて説明するまでもないでしょう。産駒が制した13勝のG1のうち、11勝は東京コースで挙げました。(続く)
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