スーパークリーク死亡
オグリキャップやイナリワンのライバルとして第二次競馬ブームを盛り上げたスーパークリーク(父ノーアテンション)が、8月29日、日高スタリオンステーションで死亡しました。25歳。
スーパークリークといえば武豊騎手。88年の菊花賞でインからスパッと5馬身抜け出したとき、当時19歳の青年の背中にスーパースターのオーラがはっきりと見えました。これはからは武豊の時代なんだな、と多くの人が感じたはずです。
http://www.youtube.com/watch?v=0nO2PPc49hE
以前、競馬評論家の塩崎利雄さんと取材でお会いしたとき、スーパークリークの菊花賞で800万円儲けたとおっしゃっていました。すぐに換金せす、当たり馬券を背広の胸ポケットに入れていたそうなのですが、当日夜に祇園で開かれた祝勝会の最中、たまにポケットをまさぐって「あるある」と確認したそうです。「だって800万の金券だからね。うっかり落としたら大変だからさ~」と笑っておられました。
配合屋が揃って的中させたレース、というのは相場が決まっていて、二昔前なら88年の菊花賞と90年のオークスあたりですね。昔話になったとき、この2レースの話になるとだいたい意気投合します。前者はスーパークリークが、後者はエイシンサニーが勝利を挙げました(一方で配合屋が揃って討ち死にしたレースというのもあるわけですが……)。
スーパークリークは、「ノーアテンション×インターメゾ×Sayajirao×Rockefella」というわかりやすいステイヤー血統。
http://db.netkeiba.com/horse/ped/1985104409/
88年の菊花賞で1番人気に推されたのは「ヤマニンスキー×イエローゴッド」のヤエノムテキ、2番人気は「ディクタス×ノーザンテースト」のディクターランド。そして、3番人気がスーパークリークでした。配合に多少でも関心があればほぼ一択でしょう。76年の菊花賞を勝ったグリーングラスとは、インターメゾ、Rockefella、Grey Sovereign≒ニンバスが共通しているので配合構成がちょっと似ています。
http://db.netkeiba.com/horse/ped/1973100905/
第二次競馬ブームの中心的存在だったオグリキャップ、スーパークリークが相次いで死亡し、あのころがどんどん遠くなっていくことを実感します。イナリワンとサッカーボーイには長生きしてほしいものです。
スーパークリーク…最も好きな馬が亡くなり残念です。
かなり活躍したにも関わらずオグリ人気が絶大で影の薄い彼でした。
しかし牧場の方々が大切に世話をされていて25歳まで生きられてよかったと思います。
さようなら、ありがとう。
投稿: ルビー | 2010年9月 1日 (水) 21:18
父としてはイマイチでしたが、母の父としてブルーショットガン(阪急杯)を出したのは立派でしたね。
投稿: 栗山求 | 2010年9月 1日 (水) 22:27